終始一貫、誠心誠意、一切合切、全身全霊、徹頭徹尾、戯言だ。

twitterではあきたらず。
 
 
嬉しいこととか、楽しいこととか、面白いこととか、感動的なこととか。
ちょっと前まで、確かに素晴らしいと思えていたそれらが、果たして本当に価値があるのかわからなくなってしまった。
自己満足することが人生の目的である。なんて堂々と迷いなく声高に宣っていた。そしてそれはきっと間違いじゃない。
でも今は、それがわからない。
幸せになることに、なんの意味があるんだろうか。
良いものが良いものであると何故言えるのか。
生きていくことに、なんの意義があるって言うんだろうか。
 
僕にも好きなものがある。
本が好きだ。アニメが好きだ。音楽が好きだ。お喋りが好きだ。友達が好きだ。夏の暑さが好きだ。星の輝く夜空が好きだ。炬燵で猫と寝るのが好きだ。
でも、そんなことに、一体どんな価値があるのだろう。
 
いや。
いや、本当はわかっている。頭では理解している。事実として把握している。
僕みたいなゴミが世界を平和にすることなどできないし、世界平和を願ったところでなんの意味もない。当然、世界の不条理を嘆いたところでそれは同じだ。
そしてそれは僕に限らず多くの人にも言えること。
結局のところ、その人々はそこにある“真実”を、見て見ぬ振りで誤魔化す。そうするのが自然とさえ言える。
だから僕が今陥っているこの憂鬱は。
“真実”というやつを見つめているつもりになって、勝手に苛まれている憂鬱は。
そんなもの、どうしようもなく無意味であるということだ。
見て見ぬ振りで構わない。直視したところで何も変えられないなら。怖気付いて逃げるくらいなら。闘っている振りをするくらいなら。
善人ぶって見知らぬ誰かのために嘆くより、偽善者ぶって自分の為に笑うべきなのだ。
 
当たり前の話だけれど、模範解答は合っても正解は存在しない。
それでも、自分にとっての答えを、こうして揃えているのだから、それでいいはずなのに。
まだそれが解であると納得できていないのだろうか。
我ながら、難儀な性格だ。いい子ぶっちゃって、気持ち悪いね。
戯言のような傑作で、大変結構誠に十全だよ。