独り言。

最終的にさ、「人それぞれ」の一言に尽きるんだよね。人の想いの関わることに、絶対なんてあり得ないわけ。「真理などというものは存在しないということが、唯一存在できる真理である」なんて微妙にメタっぽくて中ニ臭いことを、リアル中ニの頃からずっと言っていたけど、他にもごちゃごちゃと宣っていた戯言たちが消えていく中でその言葉だけは今も元気に俺の思想を支えている。逃げれば逃げる程威力の高まるチキンナイフみたいなもんか。信じ続ければそれだけ信仰力は高まっていく。これが正負どちらの連作なのかはわからないけれど。……まあ、そんな話はどうでもよくてさ(そもそもどうでもよくない話なんてしてないんだけど←これはこれで昔からよく使うセリフだなぁとか思った)、戻って、人それぞれ。細かく分類していけば、思考パターンなんて100人いれば100通り。人数とイコールで結ばれるのが当然なんだよね(「鏡」の存在確率を全否定するかのような発言だなぁ)。ただ、何か特定の状況に対して、より多くの人が(途中大なり小なり極小なりの妥協を含みつつ)意見を合わせたところが一般とか客観と呼ばれるようになって、逆にそれ以外の考えを持つ側がマイナーとか危険思想と呼ばれるようになるわけだ。でも、それは必ずしも重要じゃない。というか、「より多くの人」がそれを重要としているだけで、重要と思わない人(世間体とか、そういうものを気にしない人かな)にとっては関係がないんだ。もっと言うなら、それを重視する必要のない精神に加えて、環境まで持ち合わせている人だ。陳腐な例で恐縮だけど(独り言で恐縮してどうするんだか知らないけど)、日本の田舎で道端につばを吐くことと、しんがぽおる辺りでの同じ行為が持つ意味の違いのような感じかな。日本の田舎だろうと道端につばを吐くのを良しとしない人はいるだろうし、しんがぽおるじゃつばなんて吐きたくても吐けない(それでも吐く人はいるんだろうなぁとか勝手に想像)。……うんまあほんとにこの例え方で(架空の)読者様に伝わるかっていうとんなわけねーだろなんだけど。とりあえずこの戯言で言いたいところは、どんな道を歩もうともそこに正解不正解なんてものはなくて、裏を返せば、彼ないし彼女が正しいと信じて選んだのならそれは間違いなく正しい道なんだってこと、なんだと、思うなぁ、みたいな。いや、普段から自分に疑問ばっかり抱いてる俺がこんなこと言っても何にもならないんだけど。むしろ、自分を励まそうとしてるともとれそうだ。……痛い痛い。無理矢理理由をこじつけるとしたら、周りに受験生が多くって、苦しそうに辛そうに頑張ってるからなんとか励ましてあげたくなったんだよ俺っていい奴だなぁ、と。じゃあこんな誰の目にも触れないようなところで書いてどうすんだ馬鹿野郎というツッコミは至極ご尤もでありますはい。こんなもん読まされたって励みにならねーよ馬鹿野郎というツッコミも誠にご尤もでありますはい。まあ、なんと言いますか、自己満足の独り言でした、まる。

しかし、頑張って欲しいって思ってることは本当なんだ。どうか、みんな掴み取ってくれ。←こいつが言うとどうにも偽善臭くなるんだよな……